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司馬遼太郎著 「人斬り以蔵」

 昭和36年から41年にかけての中短編集でかなり初期のころの作品である。ちなみに「梟の城」で直木賞を受賞したのは、昭和35年である。村田蔵六(大村益次郎)はのちに長編のメインキャラクターとなるが、岡田以蔵、古田織部正などはあまり歴史の表舞台に登場しないキャラをメインに据え、当時の人々、世の中のあり方を活写してみせる。
 それぞれ、まあ面白いが、やはり司馬遼太郎は、長編に本領を発揮する。いまひとつ印象に薄いのは事実だろう。65点。

船戸与一著 「流砂の塔」

 今度の舞台は、なんと新疆ウイグル自治区である。中国の圧政のなかで独立を勝ち取ろうと戦っているのはなんとなく知ってはいる。中国側はテロ組織と断定しているようだが、はたしてそうなのか甚だ疑問附がつくが。
 登場するのは、中国人組織「哥老会」に属する身元不明の日本人、梅津明彦。哥老会とひかいつながりのある羅光雲の右腕、劉定伯。対ベトナム戦の英雄の人民解放軍戦士、林正春。中国共産党国家安全部の蔣国妹、楊克生。それぞれの組織、人間たちの思惑が絡み合い、時代、運命に翻弄されて、ストーリーは展開する。そして、彼らの存在とはなんだったのか?なんと人命の軽いことか。
 今回の作品、今までの中南米、アラブ、アフリカなどの舞台と比べて、日本に近いアジアということもあり、なんか純粋にエンタテイメントとして楽しめないような気がする。あまり気にする必要もないかもしれないが。そんなこともあり、いままでの船戸作品より少し低い評価にしたい。75点。

重松清著 「ナイフ」

 一遍を除いて「いじめ」をテーマにした作品集。

 『ワニとハブとひょうたん池で』
 中二のミキはある日突然「ハブ」(のけもの)にされる。なんの理由もなくただなんとなくクラスの暇つぶし、不満解消のため。露骨にクラス全員から無視されたり、「死んでくれない」と言われたり、約四カ月続く。ある時ホナミのチクリにより、ハブの対象がミキからホナミになる。ミキもホナミをハブるようにリーダー格のサエコから強制されるが、
 「ワニに食われて死んじまえ!おまえらなんか!」と叫ぶ。その時、ひょうたん池に棲みついていたといわれるワニが姿を現し、またすぐ消える。ワニの姿とミキの声に驚いたサエコたちは逃げ出してしまう。その後、ミキは「孤高のハブ」というべき存在となり、妙ないじめはなくなる。そして次のハブはサエコになる。

 ひょうたん池のワニはおそらく作者の視点であり、いつもミキをみつめつづけ、時々エールを送る存在なのだろう。「具体的はなにもできないけど応援はしているよ」って…

 『ナイフ』
 中学生の息子「真司」の様子がおかしい。いじめにあっているようだ。…国語の教科書は表紙が引きちぎられ、…ノートのすべてのページに<ドチビ!死ね!>と大きく殴り書きしてある。…ずっと、遠い昔、もう二十数年も昔、私は今の真司と同じくらいの年頃で、いまの真司と同じようなまなざしで世界と向き合っていたのだった。… しかし、こうも回想する。 …私の父親は、その世代にしては大柄な人だった。子供の頃の私は、いつも父親を振り仰いでいた。父親の大きさが嬉しかった。息子の目で見る父親は、他の大人の誰より大きく、たくましく、怖く、頼もしかった。私はそんな思い出すら、真司にあたえてやれなかった。… ある日私は、酔った勢いもあり、街の露店で安いサバイバルナイフを買う。そしておまもりのように「ナイフ」を背広の内ポケットに入れて持ち歩く。…私はナイフを持っている。…といつも思いながら
 ある日、真司がいじめられる現場に出くわす。そして、ナイフを出そうとするが……
 …「真司」「……なに!」「お父さん、やっぱり臆病者だったよ。なにもできなかった。怖くて、逃げ出しちゃったよ」「どうしたの?」「ごねんな、だめなんだ、なにも変わらなかった」「わかんないよ、お父さん、何言ってんのか」「そうだよな……わかんないよな……」… 
「いいな。お父さん、臆病者だから、なにもできないけど、でも、一緒にいてやる」「いいよ、そんなの」「おまえのためじゃない。お父さんのためなんだ。お前を守りたいんだ。わらわれてもいいし、馬鹿にされてもいから」…
 そして真司をまた、学校へ行く、私は十四歳の兵士を見送るように、背中を見つめた。
  
 この作品にも、いじめられた者へのエールが感じられる。不甲斐ない父親の存在から、出来ることをしてやろうという…

 『キャッチボール日和』『エビスくん』

 『ビタースイート・ホーム』
この作品だけ、いじめには直接関係ない。小学校の教師と保護者の話である。
妻は元公立高校の国語教師、娘奈帆は、小学校4年生、担任は大学を出て数年の女性、水原先生。
この先生が、かなり指導に熱心で、生徒に日々の出来事を日記に書いて提出させている。ところが、奈帆の日記は、出来事を並べるだけで、感想や気持ちが記入されていず、その点『自分の気持ちをかかないと日記にならないよ』と指導されている。しかし、奈帆の日記は全然改善の余地がなく、相変わらず事実の羅列に終始している。そして、水原先生の指導は、ずっと続いている。これを見た妻は、自分の経験から、水原先生の指導はやりすぎ、もっと自由に書かせればいいと、主張する。そんなとき同じクラスの子供が学校から救急車で病院に運ばれるという事件が起こる。その際の水原先生の対応をめぐり数人の父兄が授業をボイコットすると言い出す。妻は学校へと解決策を見つけに学校へ行く、その際に私(主人公の夫)も同行する。そして妻はこう水原先生に話す。
 …「親って間違いばかりするんです。もし子供を三十何人も育てることができたら、たくさん失敗したり、後悔したり、反省したりして、だんだん子供にとって一番正しいことはどうなのかってわかってきて…最後の子の時にはちゃーんと正しい子育てができるのかもしれないけど、実際には一人とか二人でしょ。正しくないことやっぱりやっちぃますよ。甘やかしたり大事なこと教え忘れたりしちゃいますよ。でも、これ、みんなのこと信じて言っているんですけど、どんな親だって一所懸命なんです、自分の子供のこと必死に考えているんです、で、考えて空回りしちゃったり、全然見当ははずれのことやっちゃたりするんですよ。そういうのって、正しいとか間違っているとかは別のレベルなんですよ」…
 奈帆がなぜ、気持ちを日記に書かない理由がわかる。なんと『恋のhappy白魔術[黒ハート]黒魔術撃退法付き』のなかの身長が伸びるおまじないで、『一か月自分の気持ちを字で書かないこと』ということだった。あきれ返った私たちだが、それと同時に子供の成長をも感じていた。
 親って難しい。誰もが素人で、正しいか間違っているかは、判断できない。そしてやり直しもできない。この作品は結構自分の心に響いた。すべてトータルして85点。

東野圭吾著 「夜明けの街で」

 愛人の「仲西秋葉」をどう男にとって魅力的、たまらない女に描くかがこの小説の「肝」といえる。その点、多分女性から見れば「ちょっとぶりっこなんじゃない」「作為的でしょ」とツッコミを入れたくなるかもしれなうが、男ってのは、馬鹿のものでやや作為的で、少しぶりっこかなと思うくらいがたまらないんだよね。「秋葉」は秘めたる強い意志と支えたくなるようなはかなさを併せ持っていてつい惹かれてしまう。そこはいいんだが、被害者「本条麗子」の死んだシチュエーションや「秋葉」が主人公「渡部」に接近する動機などはかなり不自然である。そこで、最後の説明でテンションは下がってしまう。
 東野作品としては、まあ面白く読めるが標準作。70点。

ヘルマン・ヘッセ著 「春の嵐」 高橋健二訳

 時々このような古典を読みたくなる。古典とはいえ「春の嵐」は1910年の作なので、ものすごく古い作品というわけでもないが、最近の小説とはかなり、趣が異なるのでいつもとは違ったスタンスで読み始めた。
 少年時代のたわいもない恋の顛末で、「不具」となってしまった主人公「クーン」は、音楽生きることを決心する。そのなかで傲慢だがよき理解者の歌手「ムオト」と知り合う。「ムオト」の女性に対する傲慢な扱いに「クーン」は閉口しつつ、強い友情を感じている。
 クーンの自作の作品の音楽会で金持ちの工場主「イムトル」と知り合う。そして、招待されたイムトルの家の「音楽の夕べ」で美しい娘の「ゲルトルート」に魅せられる。彼女もクーンに敬意とともに親密さを表現してくれる。ゲルトルートに激しく恋しながらも、不具であることに恋の一歩を踏み出せない。あくまでも友情の枠を超えないでいる。ただ一度の「キス」をしながらも…

 …私の心の炎は再び盲目的な愛の願いにゆらゆらと燃え上がった。私は彼女のピアノに向かってすわっていた。… …彼女は私にほほえみかけ、譜面を見るため私のほうにかがみ、私のまなざしに悲しみを認めいぶかしげに私を見つめた。私は無言のまま立ち上がって、彼女の顔をそおっと両手にはさんで、その額と口にキスし、また腰をおろした。彼女はいぶかりも、いやがりもせず、静かに、ほとんどおごそかに、私のするにまかせた。私の目の中に涙を認めると彼女は、軽い透きとおる手で、なだめるように私の髪と額と肩とを撫でた。…

 クーンは自作のオペラの主役として友人ムオトをゲルトルートに紹介してしまう。初めはムオトの評判を知り嫌っていた彼女であったが、次第にうちとけ、親しくなってゆく。そして、ついに二人は恋に落ち結婚してしまう。だが、ムオトの傲慢さは変わることなく不幸な結婚生活を送ってしまう。ゲルトルートは惨めな結婚のなかでもムオトのことを愛し続けている。
 クーンは酒びたりとなり自堕落な生活をおくっているムオトに会うが酒はやめるように言うが、決して責めはせずこう言う
 …「あの人は君を捨てたんじゃない。また、戻ってくる。病気なだけなんだ」…

 しかし、ムオトはクーンと会った夜、自殺してしまう。「ゲルトルート」の肖像画を残して、…結局、ムオトはゲルトルートの心を永遠に奪ったままこの世を去る。そして…

 本来の彼女が健康になり、昔のきりっとした美しさに匂うようになってから、年月のたつ間に一度、二度、私の心は彼女を追って、昔の禁制の道を歩み、なぜいけないのかと、考えた。しかし、私はひそかにその答えを知っていた。自分の一生も彼女の一生ももはや訂正するよしのないものであることを、私は知っていた。彼女は、私の友達である。…ムオトの言ったことは正しい。人は年をとると青年時代より満足している。だが、それだからといって私は青年時代を咎めようとは思わない。なぜなら、青春はすべての夢の中で輝かしい歌のようにひびいてき、青春が現実であったときよりも、いまは一段と清純な調子でひびくのだから。

 なんとも、読んでいて心が苦しくなる純粋な小説だ。生きるとは何か?幸福とは何か?少しの時間考えさせられた。
 最後に、クーンの父親の言葉を引用しよう。

 青春は利己主義をもって終り、老年は他人のための生活をもって始まる。つまり、若い人たちは自分の為に生きるので、生活から多くの享楽と苦悩とを受ける。…大多数のひとには、徳からではなくまったく自然に、より多くの他人のために生きる時期がやってくる。たいていの場合それをもたらすのが家庭だ。子供があれば、自分自身や自分の願望を考えることが少なくなる。…青年は遊ぶことを欲し、老年は働くことを欲する。…老人になると、どこかに終りがあり、自分自身の為に持ったり、なしたりすることは、結局すべて空に帰し、むだだということに気づいている。したがって、別な永遠の世界と、自分は単に虫けらのような存在の為に働いているのではないという信仰とが必要になる。そのために、妻子や事業や職務や祖国がある。…つまり、人は自分の為に生きるより、他人のために生きる場合の方が、満足が大きいのだ。

 ヘッセのメッセージ、またしばらくして味わってみたい。80点

東野圭吾著 「秘密」

 著者にとって第39作めにあたる。ようやく世間一般にひろく認められるきっかけとなった作品。ずっと、ミステリを描いてきたせいか、日本推理作家協会賞を受賞することとなる。映画化、TV化され大変有名になった。
 こういったテーマ(憑依もの)は、一昔前なら、SFの範疇に分類わけされていただろう。ただ、現実に似たような事件が起きているらしく、広義のミステリとして協会賞受賞というのもOKだと思う。
 ストーリー展開は流石としかいうしかなく巧みで巧く読ませる。まあ平成最高の語り部の一人である。巧く複線を張り巡らし、読者を「ああそうか」と納得させる技は抜群である。ただ、「手紙」「白夜行」の感動には及ばないので、80点。

司馬遼太郎著 「関ヶ原」

 西暦1600年、「関ヶ原の戦い」とよく記憶したものだが、意外と知らない。自分の歴史の知識を補う上で、大変興味深く、役に立つ読書であったと思う。
 そもそも、石田三成というやや格下の武将が、なぜ西軍の大将として徳川家康と戦うことになったのか、疑問であった。読み進めていくと成程と思った。本来、毛利氏を大将として担ぎ出すつもりが、さまざまな武将や周囲の人間の思惑により、結局合戦に参加せず。結局、石田三成が大将として押し出される形になってしまったわけである。石田三成なる武将、けっして多くの家来を率いるカリスマ性を持っている人物とは思えない。基本的には、事務方であり「参謀」が合っていたのだと思う。そんな、三成が歴史の表舞台に立ってしまったことの悲劇と言えなくもない。
 などと、かなり「三成」寄りの書き方うぃしているが、私からしてみれば、「石田三成」って結構親近感がわくキャラクターなんだよね。「義」を重んじ、権謀術数はあまり得手ではない。それで、かなり頑固。こういう人ってやはりあまり出世しないし、出世したにせよ、どこかで大きな挫折を味わうものなんだよね。でもこういう人って確かに気難しい面もあるけど、周りの顔色をみながら生きるわけでもなし、ぶれずに自らの意志を貫く姿勢って、憧れるね。その点、天下を統一し250年もの徳川の世を作ることになった「家康」はどうも好きになれない。「義」を捨てて「利」を取った東軍の武将や、西軍を裏切った武将はどう見ても「醜い」!「最悪」の男たちだね。
 兎にも角にも、面白かったし、勉強になった。80点

伊坂幸太郎 著 「重力ピエロ」

兄の泉水は、弟の春といっしょにある放火事件を追跡し始める。そこにある、グラフィティーアートの落書きとの関連から、遺伝子のルールと何か関係していることに気づく。そして、そこにかつて兄弟の出生にともなう不幸な事件とからみ、ストーリーは展開する。
 よく、売れているし人気のある作品のようだが、あまり面白いとは思わない。こういった文体をスタイリッシュとでも呼ぶのだろうか、確かに無駄がなくすっきりしているし、気の効いた比喩などもあり、読みやすいのだが、なんかキャラクターがあまりに把握しにくいのでなんだかすべての登場人物が謎めいていてストーリーに深く入り込みにくい。この人の作風と言ってしまえはそれまでだが、私にはいま一歩好きになれない。65点

マイクル・コナリー著 「死角」

まあ、面白い作品です。ですが、ハリー・ボッシュが出てくる必然性がない。いろいろと「エコーパーク」と関連づけてはいるが、無理やり感はぬぐえない。まあ基本的にプロットは短編のものなので、しかたがないともいえる。他の作家の作品なら、充分ほめ言葉が出てくるだろうが、マイクル・コナリーでは厳しくせざるおえない。65点。

湊かなえ著 「少女」

うーん。悪くはない。それなりに面白い。読ませる。だけどなー、いまひとつ共感できないんだなー。
 この少女のキャラはリアリティがあるのかないのか、ちょっと、おじさんにはわかんないんだよね。読み手の問題かもしれない。65点。

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